March 25, 2012

国際機関に勤める日本人のジェンダーバランス。


途上国に勤務したり、途上国に出張したりすることが多いのですが、そういう国でお会いする日本人は国連など国際機関に勤務されている方が多いです。そして、そういう仕事をしている人たちには圧倒的に女性が多いんですよね。男性が珍しく見えるくらいに。

国連機関職員への道として知られているJPO試験の合格者も圧倒的に女性が多いそうで。

際機関で途上国勤務というと、「困っている人を助ける」という仕事が多いので、「母性」と親和的だから女性が多いというのもあるのかもしれませんけど、話を聞いているとどうもそれだけでは説明できません。あるいは、以前よく言われていましたが(今でも聞かれますが)、実は男性の方が臆病で女性の方が肝が据わっていて逞しいからだとか、女性の方が異文化に柔軟に適応できるからだとか、はたまた外国語を学ぶのは女性の方が得意だからだとか、男女の性差の特徴だけにその理由を還元してみても、それだけではないような気がします。

むしろ女性が多い理由は日本の労働慣行、社会の倫理観にあるように思います。北海道大学大学院教授の山岸俊男氏が、日本社会は実はリスクが大きいという話をよく書いていらっしゃるのですが、それが理由の説明になるんじゃないでしょうか。

山岸先生のお話は、ものすごく要約すると、日本ではまだまだ正規雇用で定職に就くことが「よいこと」と考えられていて、その道を外れると再起が難しく、仕事の仕方や生き方を自由に選ぶことのリスクが高いという趣旨なのですが、これは特に男性の方に覆いかぶさっている世間の「空気」です。

女性には結婚なり出産なりで適当なところで退職し、子育てが落ち着いたらパートタイムで働きに出る、という古典的なイメージがあって、仕事を辞めてもそれで社会から落伍したとかいうようには見られません。ところが男性は、今でこそ違う意見も聞かれるようになってますけど、それでもまだ正規雇用でちゃんとした会社に勤めるのが当たり前という考え方は消えた訳ではありません。結局、経営者かフリーランスか、あるいは最近よく聞くノマドで食っていけるような才能がある人でない限りは、社畜の道を選ぶか、そこから脱落してワーキングプアか引きこもりになっちゃうか、という極端なパターンしかないように見えてしまっています。

国際機関の仕事というのは、基本は有期契約です。ポストに応募して、数ヶ月から数年の仕事を得る。そして契約が終わる頃に次のポストを見つける。そういう契約を繰り返していく働き方です。ジョブ・セキュリティ(職業の安定性)という観点からは不安が多い働き方に見えます。そして、この働き方は日本人男性の今までの働き方の常識からすると、受け入れ難いほどリスクが高いと映っているのではないでしょうか。

日本は、特に男性の場合、余程の才能がある人でもない限り、転職したり起業したり、職業人生の中で何かチャレンジをすると、それが失敗した場合のリスクが高過ぎる社会です。それが当たり前と思っている世界から見ると、23年おきに契約満了を迎え失職するような働き方は、リスクが高過ぎてとてもじゃないがやってられないと映るかもしれません。あるいは本人が納得していても、親や家族がいい顔をしない。

典型的だったのが、国際機関の途上国にある事務所で、日本でサラリーマンやってるより相当高い待遇を得て母子保健の専門家として働いている人が、未だに親から「いつまでフラフラしてるのか。いい加減にちゃんとした仕事を見つけて落ち着いたらどうか。」と言われると話していたことでした。契約を繋いでいくような働き方が「ちゃんとした仕事」とは思われていないのです。「ちゃんとした仕事」に就けなくなるリスクが高くなるから、早くそこから足を洗えと言っているのです。

実際には、有期契約の契約期間が満了したら次のポストが見つかるか、あるいは民間や政府機関の仕事に就くか、さらには大学院に行ってみたり、しばらく仕事に就かず主婦・主夫で子育てに専念したり、自分の事業を始めてみたり、まあみんなそれなりになんとかなっているんですけどね。

国際機関で働くという選択は、複線的な生き方を選ぶことになりがちです。しかし、日本人男性は、どこかに就職して勤め続けるという単線的な生き方を標準的とする見方がまだまだ根強くて、国際機関での仕事に挑戦しにくいのでしょう。女性の方がそういう束縛からはより自由だったので、結果、国際機関にいる日本人は女性ばかりということになっているんじゃないかと思うのです。

国の雇用政策は、相変わらず労働者の正規雇用化を促進させる方向で、会社が正規雇用を維持すれば補助金まで出すようなことまでやっています。安定した正規雇用が正しいのだというメッセージを出し続けているようにも見えます(安定しているのかどうかは大いに疑問ですが)。

正規/非正規の区別の意味がなくなり、仕事を辞めても辞めさせられてもそれでたちまち食い詰めるということがなくなり、解雇もしやすいが転職もしやすい、そういう雇用環境が当たり前になる時代がこないと、国際機関で働く日本人男性は増えないんじゃないかなぁと思う次第です。



追記:
選挙で選ばれるような国際機関の上級幹部や機関代表の職についてはまた別の話です。各国政府が候補者を立てて選挙に挑み、日本の場合は候補者に高級官僚、大学教授、財界人等が選ばれることが多く、男性の方が多くなりがちなようです。

March 24, 2012

交通の要衝は大きな街だという当たり前のこと。

縦横1mくらいの大きな南部アフリカの地図を見ているんですけどね。

血管のように道路が走ってて、その中でも特に重要な幹線道路は赤線で描いてある。南部アフリカを覆う赤い網みたいに見えます。そして、ところどころに網目の結節点がある。いくつかの幹線道路が集まる点。そこはたいてい大きな街です。

ひとつの点(街)に何本の赤線(幹線道路)が集まっているか数えてみた。

赤線が5本集まっているところ。
*ヨハネスバーグ・プレトリア(南アフリカ首都圏)
*ナイロビ(ケニア首都)
*ハラレ(ジンバブエ首都)

赤線4本。
*ウィンドフック(ナミビア首都)
*ハボロネ(ボツワナ首都)
*ルサカ(ザンビア首都)

赤線3本。
*キンシャサ・ブラザビル(それぞれコンゴ民とコンゴ共の首都。河を挟んで隣接。)
*キガリ(ルワンダ首都)
*カンパラ(ウガンダ首都)
*ブジュンブラ(ブルンジ首都)
*ダルエスサラーム(正確には赤線2本+国際港。タンザニア首都)

南アフリカには首都圏以外にも赤線が集まる点(ケープタウンとか)が複数ある。

南部アフリカの地理感覚がない方々にはピンとこない話で恐縮ですけど、赤線がたくさん集まるところ、要は「交通の要衝」が首都になってるところが多くて、しかも集まる赤線の数がより多いところが、より格上の街になっているように見えます。

道路が集まるから街が栄えるのか、街が栄えるから道路が集まるのか、まあどちらもあるんでしょうけど、道路網というインフラが経済発展には重要なんだなあと改めて気づきます。

March 11, 2012

経済が崩壊するっていうこと@ジンバブエ。


ジンバブエの首都、ハラレに滞在しています。

この街は、アフリカにあるたくさんの発展途上国の首都とは違う特徴がひとつあります。アフリカの多くの国が破綻国家とか「後発」発展途上国とか言われ、ジンバブエも今でこそそのカテゴリーに入れられてしまってますが、ジンバブエ、そしてハラレは、一度はそのカテゴリーを脱し、中進国だった時代がある場所なのです。

1980年の独立以降、80年代から90年代にかけては、宗主国イギリスが残した都市基盤や行政機構がほぼそのまま残され、ヨーロッパ系市民も居残り、農業、鉱業、製造業、サービス業がバランスよく栄える国でした。周辺国が干ばつ被害に遭っていても、整った灌漑設備による近代農業で穀物を輸出し、「アフリカのブレッド・バスケット(パン籠)」と呼ばれていました。首都ハラレは緑深く、中心部は碁盤の目状に道路が整備され、およそ一般的に思い浮かべる「アフリカ」とは思えない街並だったはずです。むしろ、オーストラリアやニュージーランドに近い趣だったはず。

それがやがて雲行きがおかしくなり、失政と腐敗が国を蝕み、2000年代に入って急降下、2008年〜2009年頃にかの有名な天文学的ハイパーインフレに陥って最終的に破綻しました。

私が初めてハラレに滞在したのは2009年4月。ハイパーインフレの結果、自国通貨ジンバブエ・ドルが破棄され、米ドル等を使う外貨経済に移り変わろうとする頃でした。最悪の時期は終わり、最低限の物資は再度出回り始めた頃でしたが、ショッピングモールらしき場所は閑散として廃墟のようで、市内はどこも薄汚れて荒れていました。

街灯は折れ曲がり、道路は穴だらけ、信号も切れているところが多い。商店はどこも古びて閉まっているところが多く、開いていても品数は限定的。電気の供給が不安定になり停電が多発、上水道も供給されなくなるところが増え、火事になっても消防車も来ない。街角に立ってぐるっと辺りを見回してみると、あらゆるものが何かしら破れ、折れ、錆び、剥がれ、割れ、色褪せていて、ピシッと新しいものがひとつもないという状態でした。

市内で一番、二番のホテルに行ってみると、元は立派なロビーだったと分かるものの設備の古さが目立ち、床や壁も色褪せ、あちらこちらがギシギシと軋み、頑張って清掃してもそれだけでは追いつかない老朽化が隠せない状態でした。高いビルに行ってもエレベーターが全部まともに動いているところはまずないし、やむを得ずヒィヒィ言いながら階段を上っていると、フロアごと打ち捨てられて廃墟になっている階があったりしました。

病院は建物だけはそれなりに立派でしたが、薄汚れてお世辞にも清潔とは言えず、なにより医者がいません。私はただ検査を受けに行っただけなのですが、それさえまともにできない。(こともあろうに私が提出した検便の検体を病院側が紛失したんですよ!)国外に逃避するだけの資金がある、逃避しても仕事を得られる能力がある人から国を出て行ってしまっており、医者などというのはその代表格。医療も崩壊に近い状態になりました。ヨーロッパに逃避した人も少なくなかったそうですが、内陸国で陸続きの国がいくつもあるアフリカ、そんなに裕福でなくてもジンバブエを見限って南アフリカ等の周辺国に移動した人が多く、1200万人といわれた国民のうち、一説には400万人が国を出たといいます。貧しい国にはストリートチルドレンや乞食が付きものですが、経済が動いていないので乞食さえいないという状況でした。天文学的インフレで政府はまともな予算を組むことさえできず、2010年になってやっと米ドルで予算案を作成する始末。それもとりあえず公務員に月100ドルずつ払う、という程度のお粗末なものでした。

浄水場は停電の上に必要な水処理用の化学薬品を購入できず、さらには老朽化した配管の修理もできず、きれいな水の供給が不十分になりコレラが流行しました。コレラなんて健康な大人であれば死ぬような病気じゃなく、脱水症状を防ぐブドウ糖液の点滴くらいできれば何とかなるはずなのですが、病院が機能していないので4000人以上が犠牲に。母子保健も悪化し乳幼児死亡率が上昇、もともとHIVの感染率それなりにある地域なのにARV(抗レトロウィルス薬)も入手できず、平均寿命が40歳前後に落ち込むという悲惨な状況になっていました。

*   *   *

あれから約3年。

製造業や農業の再興はまだまだですが、とりあえずお金は回り始め、人が戻って来て、あの廃墟だったショッピングモールの駐車場は満車、週末には渋滞ができるほどになりました。

自転車世界一周取材中」の「チャリダーマン」こと周藤さんがジンバブエの報告を書いておられて(「アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状」)、今はまさにその報告のとおりなのですが、彼が「中心街にあるショッピングセンターと真新しいビル」と書いているものも実は途中で建設が止まって何年も放置されて、最近になってやっと工事がちょっとずつ再開されてなんとか見られるような姿になったもののようですし、品揃えのよい自転車屋があったという「Arundel Village Center」も、つい最近新装開店したもののはずです。

まだまだ医療はどうしようもなく、水も電気も不安定で、道路も穴ぼこだらけですが、店舗の改装や新規オープンも増え、やっと徐々になんとかなりはじめたという印象です。

(ちなみに、チャリダーマンさんとはハラレ市内でお会いして一緒に食事して、これまでの自転車旅の話など聞いたんですよ。興味深かったです。)

*   *   *

結局、経済なんです。

少子高齢化、人口減社会の日本では、「もはや経済成長を追い求めず、貧しくても心豊かな生活を実現する社会にパラダイムシフトを。」とか、縮み指向な意見を聞くようになりましたが、そんなのは幻想だと思うのです。

ジンバブエほど酷いことにならないとしても、経済が傾くというのはどういうことか、その一端をハラレで見ることができます。福祉や教育は真っ先に壊れてしまう。新しいものは生まれなくなる。生活に精一杯で深い思索は減る。それで心豊かにいられるでしょうか。

金さえ回り始めれば、相当のことは片付く。「お金で買えないもの」「お金に換算できない豊かさ」があるのは分かりますが、それもまずはお金が回っているから言えることだったりする。世の中、清貧を実践できる聖人ばかりではなく、心豊かな生活には元手が必要なのです。人に優しくするにも元手がいるのです。

ジンバブエは中進国の時代があり、経済を崩壊させた時期があり、今また徐々に息を吹き返しつつある状況です。極端な事例であることには違いないですが、数学やってて関数の性質を知りたい時に「0」や「∞」を入力してみると参考になるように、ジンバブエの事例は、経済の浮沈によって自分たちの生活がどう変わるのかを示唆してくれます。

経済成長をGDPで測るのがよいのか、一人当たりGDPで測るのか、GNIなり購買力平価なりを見るのが良いのか、そんなことはよく分からないのですけれど、でもとにかくお金は回していかないといけない、そんな当たり前のことに気付くジンバブエ滞在です。